Wo mo'

日常×気まぐれブログ☆

支援について考えさせられました

 

 

「絶対わたしには無理だから」

と言い続けていた姉が

主治医と地域の支援員さんの励ましとサポートで

グループホームに入居して約1カ月半。

 

その姉があっという間に実家に一度戻り

違うグループホームを探すことになりまして。

 

 

自分自身も福祉の現場に携わる者として。

家族として。記録として。

残しておこうかなと思い書いてます。

 

 

 

そこを退去するということは

少なくとも姉にも要因はあることだとは思ってはいるものの

"自立に向けてがんばりたい"の想いを持って

そこへ向かった姉が

不信感に溢れる毎日に不調に陥り

戻らざるを得ないという結果は

支援ってなんだ?と考えさせられるものでした。

 

 

 

入居前の地域の支援員さんと施設側との申し送りでは

  • 体力をつけるために近くの作業所に通う
  • てんかんやその他の薬服用時の詳細
  • 発作の有無を確認するため1日4回のナースコールで声かけ
  • 趣味のハンドメイド作品をグループ施設で販売

 

 

その他にも地域の支援員さんからは

目に見えてわかりにくい姉の特性や障がいについて

説明してくださってましたが

 

 

すぐに行けるはずの作業所の話は

こちらからどうなってますかと確認しても

"上司に確認してからじゃないとわからない"

で結局この1カ月半、見学すら行かず。

 

 

2つのかかりつけ病院からの薬は施設内の薬局で

処方してくれるというので

助かるねと言っていたけど、ジェネリック不可と伝えていた薬を

"成分は一緒でしょう。" と許可なくジェネリックで処方。

 

職員の作業を減らす目的なのか

はたまた、障がいあるからわからないだろう。からなのか

無許可で受給者証や保険証のコピーを取られていて

 

 

薬の件で一番の驚きは

てんかん発作時にはこの薬を服用。と申し送りしていたにもかかわらず、

薬漬けにしないために。と施設内の職員へは

"発作が起きても服用させない"と伝達されていたこと。

 

 

発作時には一時的に意識を失うこともあり

目が見えなくなったり、耳が聞こえなくなったりする姉の症状に、

"ナースコールに出れなくても身体が動くのなら

職員の常駐していてる階まで来て伝えれるでしょう" とのこと。

 

好きで長年作っているハンドメイド作品も

すぐに販売できるようにとの話だったけど

それも結局、上司に聞かないと。で

音沙汰なし、、

 

 

初めての場所で土地勘もない姉。

自分で行ける買い物先を覚えようと

バスの乗り方と場所を教えて欲しいと入居後すぐに

相談していたが、バスの時刻表を一枚持ってくるだけ。

 

 

歩いて30分以上かかるドラッグストアに

これくらいなら歩いていけるでしょうと

体力的にもいつでるかわからない発作にも

考慮してるとは思えない返答。

 

 

 

体調を崩していた施設長は

姉の入居後に復帰されたみたいで

部下から引き継ぎされていないのか、そもそも

聞く気がないのか。笑

 

 

わたしは知りません。

わたしが来たからそれまでの取り決めは白紙です。

あなた一人のために職員がいるんじゃないんです。

振り回さないで。

 

 

だそーで。笑

もはや笑いが出てしまう。。

 

 

姉は言葉も長けていて、自分の意思を

言葉でしっかり伝えることができます。

ただ、その言葉の意味を理解しないまま使ってたりする。

 

先方ももしかしたら

こんなにしっかりしてるならいけるだろう。

と思ったのかもしれません。

 

こういう支援なんだと、汲み取れるだろうと

かけた叱咤激励の言葉もあったかもしれません。

 

でもそれは引き継いでくださった支援員さんから

しっかりしているようだけど

わかっていないことが多いと、

それが特性でもあると、

引き継ぎからの何度かの会議でもお話していることです。

 

 

自身も福祉の現場に携わっていて

姉のために何かできないかといろいろ模索したり

動いてみたりしましたが

うまくいかなくて。

なんて無力な自分と悩める日々でしたが

 

信頼できる上司に相談する中で

家族だからこそ無理なんだと自分の中に

やっと落とし込めたところです。

 

 

なので第三者に委ねることの大切さも学びました。

姉には障がいがある。

それをサポートしてくれる方々に感謝しようとも想いました。

 

 

最初の頃は姉や両親から聞く話も

受け取り方の違いもあるから

向こうはそんなつもりで言ったんじゃないんだろう、

職員さん足りてないのかな、多忙でなかなか

姉とコミュニケーションがとれてないだけでは、とも

客観的にも捉えていましたが

 

姉が勇気を持って踏み出した先の生活は

残念ながら

生きてはいるけど 活きてはない。と感じてしまう環境でした。

 

 

退去が決まる前にわかった出来事はさらに。

部屋番号も氏名の漢字も間違えておられました。笑

 

 

にしても

もはや姉は厄介者だったんでしょうね。

何を相談しても

"ちゃんと支援してます。

あなたの一番の理解者は地域の支援員さんなんでしょう?

その人に話をしたら?"

と返される始末。笑

 

 

地域の支援員さんもここまで酷いとは思ってなかったと

紹介したご自身を責めておられ

そして

ちゃんと仕事しろよ!とご立腹。

あ、そこめちゃくちゃ同感です。笑

 

 

 

支援てなんでしょうね。

姉に限らず 利用者さんの心や生活に寄り添うことが

仕事ではないのなら

そこの職員さんの仕事ってなんなんだろう。

 

 

障がいがあるから 

見てもらってるから

本人や家族は何も言えない立ち位置で

当たり前とでも思っているのかな。

 

障がいあろうとなかろうと

人の尊厳は守られて当然のこと。

「ありがとう」と相手を想う心と同じく

誰しもが「ありがとう」と言ってもらえることをしたり、認めて欲しいという承認欲求もある。

 

最初にも書きましたが

姉にも要因はあったことだとは思ってます。

ただやっぱり、あまりにも一方的な気がして。

 

 

 

多様な施設を持ち、グループ組織としては

大きな某法人さんは保護者さんから大人気と

よく耳にしてますが、

 

今回のことは、異例中の異例くらいな出来事で

たまたま相性悪かっただけのことと切に願います。

 

ほんとは利用者さんやご家族の想いに寄り添い支援しているところだよーと

そんな噂がわたしに届く日が来ますよーに!

と切に、切に願います。

 

 

 

 

支援について自身も考えされられた今回の出来事。

私自身この出来事を忘れず

決して驕らずに携わっていこうと思いました。

 

 

姉が今回の悲しみを乗り越えて

来年はイキイキできるような年になりますように!